第118回長野えびす講煙火大会

煙火大会について

長野えびす講煙火大会は尺玉の打上げと絢爛豪華なミュージックスターマインを間近で楽しめ、11月23日の信州の澄んだ寒空に打上がる花火は、夏の花火とは一味違う美しさがあります。

全国でも珍しい11月の煙火大会。音楽と花火のコラボレーション「ミュージックスターマイン」、「八号玉100連発特大ワイドスターマイン」等、絢爛豪華な打上げ花火に加え、尺玉の大輪も凛と澄んだ晩秋の夜空を彩り、花火評論家をして「一度はこの花火大会を見ておかないと」といわれています。

煙火大会の歴史

長野のえびす講は、長野市岩石町にある西宮神社の御祭礼で、11月18日から20日に商売繁盛・五穀豊穣・開運招福の祈願の方々で大変賑やかに行われます。昔はこのえびす講にあわせ、商店では大売出しを行い、周辺農家などから冬支度の買い物に来られるのが慣例になっていました。
長野えびす講煙火大会は、明治32(1899)年から始まり、今年で118回目を迎えます。

明治32(1899)年

街の有志たちが「長野市大煙火大会」と銘打って、「えびすの神」に誠意と感謝の意を表わすとともにえびす講の景気付けをしようと、朝から夜半まで七寸玉、五寸玉、三寸玉を打上げました。同時に全市商店大売出しをすると、人出で賑わい商店は大繁盛となりました。以来、えびす講にあわせて花火を打上げることになりました。

大正5(1916)年

長野商工懇話会主催の煙火大会で、日本で最初の二尺玉を打上げ世間をアッと驚天させました。

昭和3(1928)年

昭和3(1928)年の30周年記念には二尺玉七発をはじめ、尺の早打ち十発など大玉早打ちの先例をひらきました。戦時中、戦後の中断を経て、戦後復活の年から、主催は今の長野商工会議所と長野商店会連合会に移りました。すでに大正時代には、えびす講煙火大会は煙火師を厳選し、技術が未熟な者の参加を許さなかったことから、全国の煙火師にとって長野のえびす講煙火大会への参加は“出世煙火”とまでいわれるようになりました。

平成7(1995)年

冬季オリンピックの開催が決定し、世界の目がNAGANOに向けられ始めた平成7(1995)年には、開催日を祝日の11月23日に移しました。

平成9(1997)年

新幹線「あさま」の開業や高速道路の整備により、全国の煙火ファンが長野えびす講煙火大会を身近なものと感じるようになってきました。

平成17(2005)年

平成17(2005)年の第100回大会では、周辺4町村の合併により誕生した新長野市誕生を祝い、例年より大幅に玉数を増やして記念の煙火大会を実施。ナイアガラなどの大型仕掛け花火、10号玉100連発、特大スターマインなど澄み切った秋の夜空に豪快に打上げられ、観客を魅了しました。

平成22(2010)年

長野商工会議所創立110周年を記念し、打上総数を過去最高の1万発とした大会。好評のミュージックスターマインを中心に、初の個人協賛特大スターマイン、ラストを飾る8号玉110連発、超ワイド特大スターマイン等、新しい企画を次々と実施しました。観覧席にはプレミアムシートを新設し即完売。大会終了後には全国から感動を伝える熱いメッセージが多数寄せられました。

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